1/22 日中関係をアートで語る 後編2011/02/01 14:26

「日中関係を描き、語る一日~新しい形のグローバルコミュニケーション~

intern石川です。後編では、実際に議論した内容について、書いていきたいと思います。

 

<日本の誤解を解く>
中国の学生に「日本がもう一度攻めてくると思うか」、と聞くと19/20の割合でyesと答える、という話があります。日本の侵略の歴史を見れば、その恐れが根強く残っていることには、納得できます。しかし、すでに日本は憲法で平和主義を規定し、自衛隊にも他国の国民を傷つけることは許されていません。しかし中国では学生はそのことをほとんど知らないということでした。今日来て下さった日本への留学生の方々さえ誰も知らなかったのです。

虚像の恐れが、相手への無知が、過剰反応を生んでしまうこと、それはお互い望んでいません。
だからこそ、相手の国を知ること、日本のことをもっと知らせることは、本当に大事なのだと感じました。

 

<見方のスケールを変える>
今日は理系の方もだいぶ来て下さいました。その人たちから見ると、だいぶ見え方は違うことにも驚きました。
彼らにとっては、スケールが46億年前のビッグバンから始まるので、ここ100年の関係悪化など小競り合いに過ぎないというのです。古代の歴史を専門とする学生から見るとどうでしょう。中国と日本は遣隋使、遣唐使の時代から、1500年もの交流があります。その交流の大部分で日本は中国を先進国として敬い、畏れ、優れた技術を導入してきたのです。そのことを忘れてここ数年の中国の躍進を、未曾有の脅威かのように捉えるのは滑稽だな、とつくづく思いました。

 

<今後>
今後は政府間ではなく、このような個人レベルの相互交流が最大の役割を担うようになるでしょう。
昨日のテーマは議論で人を負かすことではなく、すべての議論が貴重で同じ価値を持つというルールでした。
それは、リアルの政治世界でも重要なことだし、一個人が意見を述べる際にも、次のようなことに注意しなければなりません。

ある政治問題に対して、意見を述べる際には、自分は日本人の代表の一人としてみられるのだということ。
そして、やみくもに同意を求める書き方はしない。なぜなら、個人個人ではきちんとした付き合いができても、日本人、中国人の「集団」という単位になると、一気に議論の方向が過激化する恐れがあるからです。
自分の認識は書いても、そこに答えがあるのではなく、最低限の同意をお互いが探り合うそのヒントとして使うにすぎません。
そして、アートやウェブといった、ある種「空間」の感覚が曖昧になる所にいたとしても、お互いが隣国であるという事実は永遠に変わらない事実です。そう、今後付き合っていくことは、ずっと変わらないのだから、いがみ合うことは一番愚かな方法だということを今日身を以て知りました。

日中関係の議題はたくさんあり、ネガティブなものが多いことは確かです。しかしマスメディアももちろん私たちの議論も、事実の問題に終始していないだろうか。事実は日本と中国で捉え方はことなるのだから、平行線に留まるのは必至です。「日本の報道を見たら中国が嫌いになるし、中国の報道を見たら日本が嫌いになる。」そう、留学生の方々は言いました。相手の本質は、個人を一人の人間として付き合わないと、絶対に、絶対に見えてこない。そして相手の国に行って、その文化考え方をどっぷり共有しないと、相手の国のことを、わかったとは言えない。
他国に来て、日本での経験、学んだことを踏まえて中国の体制や政治に対して疑問も持ち、いつか母国に帰り、学んだことを伝えたいという意思も持っている。昨日の留学生を、心から尊敬しました。国家間の関係を変えていくのはこういった渡航者同士のDEEPな架け橋にあると思いました。将来、私もその一人になれたらと思う一日でした。