プラトン写真集「亡命:ビルマから逃れて」(その1) ― 2010/11/06 12:18
All photos © 2010 Platon for Human Rights Watch
仏教僧
2007年9月にビルマで起きた軍政に対する大衆的な抗議行動は、この20年あまりで最大のものだった。仏教僧は、比較的安全だった僧院から街頭に出て、デモの先頭に立った。後に「サフラン革命」として知られる運動だ。ビルマ政府の治安維持部隊は、仏教僧などの平和的な抗議活動の参加者を殺害し、暴行や拷問も加え、力づくで解散させた。弾圧後にビルマの裁判所は、数百名もの政治活動家や仏教僧に、長期刑(最大65年)を宣告した。
合掌するビルマ仏教僧。左から右にアシン・ソパカ師、アシン・イッサリヤ師、ウー・テーザ師(通称「キング・ゼロ」)
今回から2回に分けてお送りするのは、オバマ大統領など、各界で活躍する一流の人びとの肖像写真で知られる、イギリス出身の著名なフォトグラファープラトン氏による、ビルマからの亡命者たちの姿です。
ビルマは世界でもっとも抑圧的、閉鎖的な国のひとつで、1962年以来軍事政権に支配されています。政府は、ほとんどの市民運動を沈黙させ、刑務所で拷問し、子ども兵士を徴用し、強制労働させ、女性を人身売買し、少数民族地帯で民間人を狙った攻撃を行うなど、長く人権侵害を行い続けているのです。
軍事政権は、20年ぶりの国政選挙を11月7日に実施すると発表しました。2010年5月、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、プラトン氏とともにタイとビルマの国境に入り、元政治囚や市民運動家の指導者、少数民族、ジャーナリストなどのビルマからの亡命者を撮影してもらいました。
登場するのはビルマで人権を侵害され、タイに亡命した人たち。やる気をなくしたり挫折したりせず、人びとは団結しています。互いの経験をシェアしながら教育に取り組み、ビルマのすべての人びとにより良い未来が訪れるようにと活動しています。国は追われましたが、沈黙させられはしなかったのですね。
ところで、今回この写真集が掲載されたのは、10月18日号の文芸雑誌「ニューヨーカー」。アメリカでは、(名前はニューヨーカーでも)全国的に有名な超インテリ向けの媒体です。発売日には、マンハッタンの高級マンションの郵便受けにずらりと配達されている光景もみられます。つまり、読んでいること自体がステータス、という雑誌なのです。
ビルマは世界でもっとも抑圧的、閉鎖的な国のひとつで、1962年以来軍事政権に支配されています。政府は、ほとんどの市民運動を沈黙させ、刑務所で拷問し、子ども兵士を徴用し、強制労働させ、女性を人身売買し、少数民族地帯で民間人を狙った攻撃を行うなど、長く人権侵害を行い続けているのです。
軍事政権は、20年ぶりの国政選挙を11月7日に実施すると発表しました。2010年5月、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、プラトン氏とともにタイとビルマの国境に入り、元政治囚や市民運動家の指導者、少数民族、ジャーナリストなどのビルマからの亡命者を撮影してもらいました。
登場するのはビルマで人権を侵害され、タイに亡命した人たち。やる気をなくしたり挫折したりせず、人びとは団結しています。互いの経験をシェアしながら教育に取り組み、ビルマのすべての人びとにより良い未来が訪れるようにと活動しています。国は追われましたが、沈黙させられはしなかったのですね。
ところで、今回この写真集が掲載されたのは、10月18日号の文芸雑誌「ニューヨーカー」。アメリカでは、(名前はニューヨーカーでも)全国的に有名な超インテリ向けの媒体です。発売日には、マンハッタンの高級マンションの郵便受けにずらりと配達されている光景もみられます。つまり、読んでいること自体がステータス、という雑誌なのです。
元々は保守系の社会風刺雑誌ですが、1998年に「ニューヨーク・タイムズ」出身のデイビッド・レムニック氏が編集長に就任してから、国内外の政治問題に関する評論にも力を入れているようです。とはいえ、ヒロシマの惨禍やベトナム戦争の「ソンミ村の大虐殺」など、以前からアメリカが道を踏み外した時には、それを堂々と告発してきた雑誌でもあります。米軍によるアブ・グレイブでのイラク人拷問の記事が社会に与えた衝撃も、記憶に新しいところです。
今回ご紹介する写真は、そんなニューヨーカーの契約フォトグラファーでもあるプラトン氏とヒューマン・ライツ・ウォッチによるコラボの集大成です。どうぞ、プラトン氏が切り取った、ビルマから亡命してきた人びとの、弾圧に屈することのない力強い眼差しをご覧ください。
HIVと共に生きる子どもたちビルマでHIV/エイズ治療薬を入手するのはたいへん難しく、必要な治療を受けているのは4人に1人だけだ。写真の子どもたちは、HIV陽性で、親を失うか、親から預けられるかして「女性たちのためのソーシャルアクション」((SAW)の運営するセーフハウス(保護施設)「子どものためのクライシス・センター」(CCC)で治療や保護を受けている。SAWは、住居や教育の他、抗レトロウイルス薬など基本的サービスをビルマ人の子どもに提供している。子どもたちは日焼け止めとおしゃれをかねて、タナカ(木からとるビルマの伝統的な染料)を顔に塗っている。
今回ご紹介する写真は、そんなニューヨーカーの契約フォトグラファーでもあるプラトン氏とヒューマン・ライツ・ウォッチによるコラボの集大成です。どうぞ、プラトン氏が切り取った、ビルマから亡命してきた人びとの、弾圧に屈することのない力強い眼差しをご覧ください。
HIVと共に生きる子どもたちビルマでHIV/エイズ治療薬を入手するのはたいへん難しく、必要な治療を受けているのは4人に1人だけだ。写真の子どもたちは、HIV陽性で、親を失うか、親から預けられるかして「女性たちのためのソーシャルアクション」((SAW)の運営するセーフハウス(保護施設)「子どものためのクライシス・センター」(CCC)で治療や保護を受けている。SAWは、住居や教育の他、抗レトロウイルス薬など基本的サービスをビルマ人の子どもに提供している。子どもたちは日焼け止めとおしゃれをかねて、タナカ(木からとるビルマの伝統的な染料)を顔に塗っている。
ミンミンサン(4)、ニンエイチョウ(6)、カインニンワイ(7)、ピュータンダーウィン(14)、アオン(14)
子ども兵士
ビルマには世界で最も多くの子ども兵士が存在する。ほとんどが国軍にいる。たった11歳子どもすら強制的に徴用されている。しかし反政府民族ゲリラも同様に子ども兵士を使用している。ビルマで実際に配備されている兵士のうちなんと2割が18歳に満たない少年の可能性がある。
子ども兵士
ビルマには世界で最も多くの子ども兵士が存在する。ほとんどが国軍にいる。たった11歳子どもすら強制的に徴用されている。しかし反政府民族ゲリラも同様に子ども兵士を使用している。ビルマで実際に配備されている兵士のうちなんと2割が18歳に満たない少年の可能性がある。
マンダレー出身の元子ども兵士(16)。個人が特定されないよう顔を隠している。彼はカチン州の前線に送られた後、脱走した。
政治囚
政治囚
房の鍵。タイ、メーソットにある政治囚支援協会の展示室にて。
アウンミョーテイン(42)
アウンミョーテイン(42)
1988年民主化運動の時の学生自治会の指導者であったことを理由に6年以上投獄されていた。ビルマの不潔な刑務所には、現在も仏教僧侶、仏教僧アーティスト、ジャーナリスト、学生、政治活動家など2100名を越える政治囚が投獄されている。アウンミョーテインは2007年12月、6歳の息子を残し、ビルマを逃れた。「息子に最後に会ったのは3歳の時だ」と言う。
ボーチー
ボーチー
元政治囚で政治囚支援協会(AAPP)の共同設立者。2100人以上のビルマ国民が政治的自由を求めたり政治活動を行ったとして投獄中であるが、ボーチーはこうした人々の釈放を求めて休むことなく活動している。ボーチーは1988年のビルマ民衆蜂起で非暴力の平和的デモ行進に関与した後、1990年3月に人権活動に加わったとして学生のまま逮捕された。7年3カ月を刑務所で過ごした。その間、尋問や暴行を受け、枷をはめられ、拷問を加えられ、不潔な環境下で生活することを強いられたこの長い苦難を経たボーチー氏。彼は、ビルマ全土の刑務所に不当に拘束され続けているすべての政治囚の釈放のために活動しようと決意した。釈放後にタイのビルマ国境に逃れ政治囚支援協会の設立に加わった。同協会は獄中にある人々の釈放を働きかけ、本人と家族に医療やアドバイス、支援を提供している。
(「亡命:ビルマから逃れて」写真集、第2回に続く)