ロンドン映画祭 第二弾2012/04/01 23:14

こんにちは、インターンの鈴木です。3月21日に行われたロンドン映画祭の上映会・レセプションをお手伝いした際の報告、第二弾です。

イスラエル/パレスチナを題材とする映画、’5 Broken Cameras’が上映された後、映画監督Emad BurnatGuy DavidiSarah Leah WhitsonHRW中東・北アフリカ局長)、Daniel LevyNew America Foundation中東調査団共同局長・上級調査員)、そしてDavid Mepham(ロンドン局長)によるQ&Aセッションが行われました。

Q&Aセッションの様子

来賓者の方々にはHRW’goodie bag’(お水、ポップコーン、チョコレート、HRWの報告書等が入ったトートバッグ)が配られました。報告書は、「分断と不平等:パレスチナ被占領地におけるパレスチナ人の差別的処遇と「便りがないのは良い知らせ:パレスチナの治安機関によるジャーナリストに対する人権侵害の実態のふたつが配られました。


監督のEmad Burnatさんと。(Many thanks to Paula for taking this picture!)

残念ながら私は映画を観れなかったのですが、来賓者の方々には、イスラエル/パレスチナ問題へ斬新なアプローチがとても良かった、と大反響でした。

HRWのイスラエル/パレスチナでの活動について詳しく知りたい方は、こちらからどうぞ!

NY&Boston レポートvol.3 HRW本部インターンとセッション2012/04/02 23:00

インターンの石川です。

vol.2でお伝えしたオフィス見学の前に、NY本部で働くインターンとセッションをしました。
私は東京オフィスのインターンですが、ニューヨークで働くインターンと実際に会うのは初めてでした。

アメリカでは日本よりもインターン制度が学生の間に浸透しており、HRW本部でインターンをするためには高い競争率を勝ち抜かなくてはなりません。私が話したインターンはアメリカ政治を専攻していましたが、HRWのようなNGOが政府に対してどのように政策提言などアプローチしていくのかを間近で見ることは、貴重な勉強になる、と話してくれました。

以下は、引き続き参加者の吉澤くんのレポートの抜粋です!

Human Rights Watch本部で働くインターンとの交流は、フリートークとアイスブレイカー(3~5人1組を作り、自己紹介と示された質問への回答を繰り返すゲーム)を通して行われた。

まずHRW本部インターンとのフリートークを通して、HRWに関する知識やインターンそれぞれのキャリアパスなど私達にとって非常に有意義な情報を得ることが出来た。

特に、HRWが各地域の人権問題を管轄するRegional Divisionと女性の権利問題や子供の権利問題など諸人権問題を管轄するThematic Divisionによって構成されることを知り、本スタディーツアーに参加しながら、HRWの機構を理解していなかった事を恥ずかしく感じた。

また、数人のインターンから大学では何を専攻し、どのような目的を持ってHRWでインターンをしていて、どのような将来展望を持っているか聞くことが出来、強い刺激を受けた。短いながら充実した時間となった。

次に、5回行われたアイスブレイカーでのインターンの方々の答えの中に興味深いものがあった。”What would you like to do in your future?”(将来は何をしたいか?)の問いに、あるインターンが「自分の周りの人を幸せにしたい。」と答えていたのが特に印象的だった。



NY&Boston レポートvol.4 HRW憲章・ロゴの秘密2012/04/03 23:11

下の写真は、HUMAN RIGHTS WATCH ニューヨークオフィスの玄関です。
おなじみの青い正方形のロゴの背景にうっすらと、地球のマークが見えるでしょうか。

もともとHRWのロゴは地球をかたどったものでした。
案内してくれた調査員は「What is a bad point of the former logo? ロゴを変更したのはなぜだかわかるか?」と私たちに問いました。
ある学生が「The fixed point of view from the Arctic」と答えました。

当初ロゴとして描かれていたの地球の視点は北半球にあり、アフリカをはじめ南半球の国々の形が歪んでいました。それはすべての地域の人権侵害を調査するHRWのコンセプトとずれることから、現在の四角いロゴに変更したのです。

この玄関を入ると、HRW憲章の碑が飾ってあります。案内してくれた調査員の方によると、誰が書いたかはわからないそうですが、現在も指針として大切にされている言葉です。

Human Rights Watch is dedicated to protecting
the human rights of people around the world.
We stand with victims and activists to bring
offenders to justice, to prevent discrimination,
to uphold political freedom and to protect people from
inhumane conduct in wartime.
We investigate and expose human rights violations
and hold abusers accountable.
We challenge governments and those holding power
to end abusive practices and respect international
human rights law.
We enlist the public and the international community
to support the course of human rights for all.

NY&Boston レポートvol.5 NY連邦準備銀行へ2012/04/04 23:30

vol.2から4までツアーの目玉であるHRWオフィス訪問をレポートしましたが、以後は時系列でレポートをしていきたいと思います。

まず、ツアー初日にニューヨーク州連邦銀行へと向かいました。
以下参加者の金くんのレポートの抜粋です。

 アメリカ合衆国本土、特にニューヨークへの初めての訪問とあってウォールストリートのビル街の建物の大きさ、ニューヨークにおける人種の多様性などを見てアメリカ合衆国という国のスケールの大きさというものに直面して私は圧倒されていた。

 厳重なセキュリティチェックを終えてニューヨーク州連邦銀行内の見学者への展示を見たが、展示自体はそこまで大きくはなく主に貨幣がどのような変遷を経て現在の貨幣社会を構築したか、アメリカ合衆国のみならず世界各国の旧貨幣のコレクションなどを展示しており大変興味深かった。

強く記憶に残った展示がある。1つ目はニューヨーク連邦銀行内の展示のイントロダクションで「Money is all.」と始まり「貨幣」がどれだけ人々の生活に影響を与えているかという記述であった。産業革命以降より急速に世界は発展したが、物質的幸福は幸せにつながるのかと私達人間は長く考えてきた。高度経済成長を遂げて先進国となり「失われた10年」を経験した日本ではブータン王国国王・王妃殿下来日で「国民総幸福量」というブータン初の新しい概念が新たに注目を浴びており、物質的幸福は必ずしも個々人の幸福につながるわけではないという事が改めて突きつけられた。

 しかし、アメリカ合衆国の経済領域に関して大きな力を持つ連邦銀行による「貨幣」を多く保有することで幸せは得ることができ「貨幣」無しには人間は何も出来ないというメッセージは物質的充足が個々人の精神的充足につながるものであると言い切る事を意味しており、私に強い衝撃を与えた。ブータン王国発の「国民総幸福量」という概念は注目されており世界でも物質的充足が精神的充足につながるとは限らないとなってきているのだと私は勝手に今まで解釈したいたのだが、少なくともアメリカ合衆国にはまだまだMaterialismが根強く残っているのだと実感した。




演劇「The Pillowman」が公演されます2012/04/05 01:02

アーティスト集団「Black Stripe Theater」が、4月20・21・22日の3日間、飯田橋のイワト劇場にて「The Pillowman」の公演を行います。



「The Pillowman」は、イギリスのナショナル・シアターでオープンし、オリヴィエ賞を受賞、また、ニューヨークでもトニー賞にノミネートされた話題作です。

とある街で次々に起こる子どもの殺人が、とある作家の物語に酷似していることから、その作家は取り調べを受けることに・・。

Black Stripe Theaterによる「The Pillowman」は、同劇を通じて拷問や虐待の現実の一端を見せてくれます。ぜひ劇場に足を運んでみてください。

チケットの入手方法等、詳しくはこちらをご覧ください。


NY&Boston レポートvol.6 WTC tribute center2012/04/06 23:42

 ニューヨークに到着した日、グラウンドゼロ南に設立された、9.11テロを悼む資料館、Tribute WTC visitor centerを訪問しました。ニューヨークに来たならば必ず訪れるべき場所だと考えたからです。

以下参加者中森さんのレポートです。
 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロにより崩落したワールドトレードセンター。事件当時私は11歳の小学5年生だった。小学生ながらに、何かすごいことが起きたのだという感覚はあったが、実際にどんな状態だったのか、何が起きたのかは分らなかった。その後も恥ずかしながら事件に関して深く学ぶことなく10年を過ごし、9.11テロは自分とははるか遠いところで起こった出来事で、どこか現実味に欠けた出来事のように感じていた。今回このツアーでTribute WTC visitor centerを見学することで、やっと事実として実感できた。

跡地や資料館だけでなく、周辺にはテロの歴史を感じさせるものがたくさんあった。跡地へ向かう途中の街のある壁には、燃えているビルとその火を鎮火している消防士たちを描いた大きな銅板が飾ってあり、日常の中で目にすることでより強く9.11テロを人々の記憶に残しているように感じた。またその銅板の下には、当時鎮火に携わったとみられる何人かの消防士の写真が飾ってあった。その写真はきっと遺族により飾られたもので、誰かにとってとても大切だった命が奪われたのだということが伝わってくるようなものだった。

また、途中でトリニティー教会にも立ち寄った。トリニティー教会はワールドトレードセンターから近かったため、当時緊急避難所として、がれきや粉塵から逃れる人々の避難所になっていたようだ。教会の奥には子供たちからのたくさんの手紙が展示されており、その手紙には、テロに対して子供が感じたことや願いなどが書かれていた。多くの手紙には燃えているビルと飛行機の絵が描かれており、私が記憶している、事件当時放送されていたニュース映像そのままだった。ただ、ここでも消防士の絵を多く見かけたことが印象的である。私個人の記憶では、当時のニュースではビルの映像のインパクトが強すぎて、消防士の姿までは覚えていない。しかし、事件の当事者と客観的立場とでは感じ方も違うし、見てきたものも当然違う。完全にとは言えないが、当事者が見てきたものに、少しは触れることができ、感じることができたのではないかと思う。

 

NY&Boston レポートvol.7 WTCで捧げた日本の折鶴2012/04/08 23:48

以下vol.6からの、中森さんのレポートの続きです。

Tribute WTC visitor centerには、ぬいぐるみやIDカード、ヘルメットなどの他、行方不明者を探すたくさんのポスターの写真、がれき、当時の映像も展示されていた。もちろん日本人の写真もいくつかあった。熱でゆがんだ鉄柱や、ボロボロになったぬいぐるみ、家族写真とともにパスケースに入れてあるIDカードなど、実物を見ると事件の悲惨さがより鮮明になり、言葉では表せないような感情が湧いてきた。事件そのものと言うよりはそれにより悲痛な思いをした人々の様子が伝わってきて自然と涙が出てきた。また、大きなパネルがいくつかあり、被害者の話や具体的なエピソードなどが書かれており、その中にはハイジャックされた飛行機に乗っていた乗客のエピソードもあった。ワールドトレードセンターで働いていた人、消火活動・救助活動にあたった消防士、ハイジャックされた飛行機の乗客、客室乗員、パイロット、そしてその家族など、それぞれの立場からこの事件を捉える事ができる場所だと思った。

今回の訪問にあたって、私たちは折り鶴を贈呈した。これは、ツアーリーダーである石川さんが前回ニューヨークを訪れ、Tribute WTC visitor centerを訪問した際に折り鶴を送ることができると知り、次に行くときは是非送ろうと決めていたことから実現した。Tribute WTC visitor centerには下へと続く階段の天井から広島から贈呈されたというたくさんの折り鶴が飾ってあり、下の階で鶴を折ることもできるようになっていた。日本の折り鶴が国際的な平和を祈る手段の一つとして取り入れられていることに少し感動した。また、この階にはメモリアル館を訪れた人々により、様々な言語で書かれたメッセージが展示してあり、世界各国からたくさんの訪問者がいるということを感じさせた。

ツアーメンバーの一人から聞いた話であるが、ニューヨークへ向かっている飛行機内で折り鶴を出していると、客室乗務員の方が「グランドゼロへ行かれるのですか?日本人を代表してお礼申し上げます。」と声をかけてくれたらしい。その話を聞き、 実際にその場を訪れ祈ることができる機会を得た私たちは、責任を持ってしっかり現場を見て、その経験をより多くの人に伝えていきたいと思ったし、また、伝えていかなければならないと思う。

9.11、アメリカ同時多発テロは、一言では語りきることのできない歴史的大事件であり、多くの犠牲者を出してしまった。それを悼むことはもちろんだが、まずわたし自身がすべきことは、事件について「知る」ことである。何も知らない状態でワールドトレードセンター跡地、メモリアル館を訪れたことで、より事件に関心を持ち、知らなければいけないことだと強く感じるとともに、今まで詳しく調べようとしなかったことを反省した。事件から10年たった今、当時子供だった私たちくらいの世代も、もう立派な大人になろうとしている。この事件は歴史の教科書に載っている過去の出来事ではなく、今なお考え続けるべき大きな問題の一つであり、アメリカと深くかかわっている日本人だからこそ、もっと関心を持つべきだと思う。

  このツアーでTribute WTC visitor centerを訪れることができ、自分の中での国際問題に関する意識が変わった。こういった場所を訪問することで、様々な感情が湧き、考えるきっかけになる。テロや戦争は世界中で何度も繰り返され、そのたびに多くの命が奪われている。自分に直接の被害がなくても、自分が生きる社会の中で起きているということを忘れてはならず、社会の一員として、問題意識を持ち続けなければならない。


NY&Boston レポートvol.8 ハーバード大学アジアローソサイエティへ2012/04/09 23:51

HRWの活動の一つに人権侵害の事実を調査し、国際法に適用して政府に政策提言をしていく、という活動があります。ハーバード大学ロースクール人権クリニックでは同様の取り組みが行われ、国連文書を分析したCrimes in Burmaは国際社会に大きな影響を与えました。
 私たちはそのような活動をするロースクールの実際を拝見したいと、ロースクールを訪れることにしました。今回は人権クリニックではなく、アジアローソサイエティというコミュニティを尋ねました。

  以下参加者の呉さんのレポートです。

  アメリカ合衆国に着いて三日目である16日。今日は待ちに待ったHarvard大学のロースクール生との交流会があった。Julienne Ebyさんは今回の交流会を開催するにあたり、ずっと連絡を取り続けた方で多大な協力をして頂いたが、彼女ともう一人の日本語が堪能なロースクール生と18時頃に夕食を共にした後、ハーバード大学内のロースクールの敷地を案内してもらった。それからHarvard Asia Law Society(以下HALS)の学生と会い、十九時半過ぎから交流会が始まった。

交流会の初めにこのツアーのメンバーであり、HRW日本のインターンである大澤祥子からHRWと本ツアーに関して説明をしてもらった。その次に、HALSの運営メンバーの二人からHALSの活動についてプレゼンテーションがあった。

 HALS
はアジアに興味を持っているロースクール生から成り立っている学生組織であり、その興味分野はアジアの文化、法律、ビジネス等多岐に渡るという。中には日本での滞在経験がある人や日本語を学んでいる方、アジア諸国からの留学生も多かった。

 HALS
の活動は大きく分けて三つある。一つが不定期に行われる様々なイベントであり、例えば学者や教授を招いて講演会を催す学術的なものから映画鑑賞やアジア料理を食べるといった娯楽的なイベントまである。もう一つの活動は週一回、定期的に行われるアジア諸国の言語を学ぶイベントである。
 そして、三つ目の活動はSpring Break Delegationであり、これは年に一回春休みの間にアジアの国に行き、その国の社会や文化、法制度・法文化を学ぶことである。だが、ただ学ぶだけでなく、その国で障害者等の弱者を支援する等の社会貢献をしているNPONGOで財政的に苦しい状況にある団体を一つ選び、HALSの学生はハーバードに帰って来てから校内でお菓子を売る等して貯めたお金を集め、その団体に送ることで財政的に支援しているのである。


 これには本当に驚いた。なぜなら、ロースクール生なら自分の勉強でかなり忙しいはずだが、そのような中でも遠く離れた国で支援を必要としている人達のためにわざわざ時間と労力を割いてお金を集めているのである。このような気持ちと意識、そして行動力は一体どこから出てくるのだろうか。このような部分は本当に尊敬するし、私達も見習うべきだと思う。

また、交流会の初めにHALSとは別にロースクールで人権に関して学んでいる方がいらっしゃり、ハーバードロースクールではどのような活動を行っているのかお話をしてくださった。それは、人権侵害が行われている国に実際に行き、そこでどのような人権侵害が行われているのか調査するという。過去には南米諸国に行ったらしいが、このような活動は確かに危ない点もあると思うが、人権に関する議論をただ机上で終わらせるのではなく、実態を目にすることが出来るということは非常に重要で、今後のどのように人権を確保するかを考える上でとても刺激的だと思う。また、実際にこのような活動が出来ることは本当にすごいと思った。


(vol.9に続く)



NY&Bostonレポートvol.9 ロースクール生との交流2012/04/10 23:59

インターンの石川です。vol.8でもお伝えしたように、ハーバード大学ロースクールアジアローソサイエティとの交流会に参加した学生たちは本当に大きな刺激を受けたようでした。その一部を抜粋して紹介します。

 私にとって印象的だったのは、正直話しの内容よりも「人」自体である。すごいなと思ったのは、殆どの人が母国語である英語以外に外国語を話せて、しかもロースクールに入る以前の経歴が非常に多種多様であることである。例えば、日本で英語の教師をしていた人もいれば、オーボエ奏者もいるし、ロースクールに入る以前はずっと経済のことばかり勉強していた人もいる。だが、何よりも、私達ツアー参加者より全体として五歳程(あるいはそれ以上)年上であるということもあると思うが、実に様々な経験をしており、興味分野も広く、また私のたどたどしい英語でも最後まで注意深く聞いて、理解しようという姿勢に何よりも感銘を受けた。この交流会で出会った人は、知識等の学術的なものだけでなく、人として学びたいと思う部分が非常に多く、様々な面で勉強になった。これをただの経験として終わらせるのではなく、今後自分ももっともっと成長しなくてはならないと感じる。(呉さん)

 

 この交流会で初めてアメリカの大学の雰囲気というものを味わうこととなったが、まずそのカジュアルさに驚いた。日本では、教室内で場が膠着すること(「質問はありませんか?」-誰も何も言わない)が「当たり前」の光景である。しかし、それがまるでなく、全員で考えその場で答えを出す、というスタイルが定着している。アジアンローソサイエティの活動も、私からすれば「課外活動」の範疇を超えていると感じるが、メンバーの一人の糸山シャノンさんが、「授業がとても大変だからこういう活動で息抜きしているの」と語る姿に人間としてのスケールの違いを感じてしまった。(浅野さん)

 

私が一番感心したことは、Asia Law Societyにいる学生の方々がみな様々なバックグラウンドを持っているということである。日本の法科大学院では、ほとんどの学生が、大学からそのまま進学していることが多い。しかし、彼らは一度他の仕事に出からロースクールに入り直したり、大学ではエンジニアリングを専攻していたりと、法律以外にも専門的に語れる分野を持ち合わせている。また、ロースクールで法律の勉強をしながらも、Asia Law Societyのようなものに所属するなど、課外活動にもとても積極的である。彼らの活動を見ることを通して、常に新しいこと、自分の興味のあることを学ぶ意欲を忘れないようにすることの大切さを学ぶことができた。(井手さん)


 参加者の感想は以上です。ツアーを通してHALSでの交流は人の温かさを最も強く感じた機会でした。日本からハーバードロースクールに留学している精鋭中の精鋭の方々のうち、半数以上の方が、日本からの学生のためにと、交流会に来て下さったのには、とても感動しました。
 普段社会の最前線で活躍している方々が、アジアや日本という繋がりだけで集い、職業の壁を超え日本に対する思いをお話し下さったこと。それは大学院という様々なバックグラウンドを持つ人が繋がる場であり、多様性のある出会いによって自らを成長させていくという大きな意義を肌で感じる機会となりました。


福島からの声⑧2012/04/16 18:01

こんにちは、インターンの湯村です。「福島からの声」の第8回目です!

4児(19歳、14歳、10歳、8歳)の母親。娘2人と郡山市の団地の公園にて。福島第一原子力発電所から約60km
© 2012 Katsuo Takahashi for Human Rights Watch

うちは母子家庭で、家族で県営住宅に暮らしてます。 行政からは、子どもの健康診断関係の情報はぜんぜん来ていません。なので、4人の子どもたちは全く検査を受けてないんです。 いつになったら郡山市は健康診断をやるのかなぁと思ってるんですが。

ただ、県から家族一人一人に健康管理調査の質問票は来たんです。311日から数週間何をしてましたか、という質問でした。けれども、何ヶ月も前に何をしていたかなんて詳しくわからない。だからまだ出していない状態なんですけれど。

放射能がどれだけ身の回りにあるのか全然はっきりしないままで、すごく心配です。例えば家の周りの放射能レベルも全然まったくわからないままで。すごく寒い冬の日に、県営住宅の出れる人で集まって除染もしたんですけど、除染の前も後も放射線を測ったわけでもないんです。だからうちの周りにどれだけ放射能があるかわからないままなんです。それから、一番心配なのが、その除染した泥が自分たちの住んでいる近くの倉庫にまだあることなんです。県営住宅なので行政が話し合って決めるんだと思うんですが。汚染ゴミの置き場ができるまでってことだと思うんですが、それまで何年置くのかということも分らない。子どもたちも、その倉庫の近くで遊んでしまってますし。大丈夫かなっていうのがすごく心配ですね。